単科の精神科からの脱出してからのブログ

単科の精神科病院がどんなものか当事者である、私がブログを更新したいと思います。

私だって、私らしくありたい!

G大学病院に入院後、退院間近というとき。


突然の病院移動、しかも救急車で、向かった先は山奥のT病院単科の精神科病院。


私はその当時言葉すら話せない状態でした。


2年間の入院生活を経て私は実家に帰れるものだと思ってましたが、大きな間違いでした。


父が実家に帰るのを拒み、二年間病院の敷地内での生活する場(共同生活所)及びデイナイトケアに毎日通う日々、地獄でした。


朝食のみ自由で昼夕は病院食でした、ワンプレートのおかずにごはんのみ、満足のいくものではなかった、食べたいものがあっても、ケースワーカーに金銭管理は全てゆだねられていましたので、、、



デイナイトケアでのストレスからか再度入院、退院後職業訓練へ、その後T病院の系列の病院にてデイナイトケアへ通所、作業所への通所もしました。


もちろんT病院の系列なので金銭管理は全てケースワーカーにゆだねられていましたので、好きなもの食べたいものは買えませんでしたし、充分な、他科受診すら行ってもらえませんでした!

闘病生活

私はもうすぐで、30歳になる。もと、単科の精神科病院の患者です。


16歳になる頃C市で暴行事件にあい、その直後G大学病院精神科に入院、入退院を繰り返すも、高校は無事卒業できました。


その後20歳で大学生に、病気を抱えながらも、アルバイトも真面目にこなしていました。


そんなある日23歳で再発、原因は断薬、親は私に全く無関心で気がついていなかったと思います。


再発前は辛い日々に耐えることができずこの世から去りたいと思ってました。